Meltな気分で

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五輪で金も「日本はすごくない」とケチつける左翼脳へのレクイエム


 

 

 

 

今の若い人は、年寄りの左翼連中が何故オリンピックを嫌うのかよくわからないのではないか。

東京五輪の誘致に反対していたすべてが左翼ではないが、左翼はすべて五輪反対していた。これは過去の五輪誘致でも同じだ。

左翼の古い錆びついた頭だと

「オリンピックは国威発揚の場で、個人が犠牲になっている。これは戦前の軍国主義につながる思想だから五輪は反対だ」

と大真面目に思っているのだ。

もう1つ、ある。

よく五輪で金メダルを取った時、

「日本がすごいんじゃなく個人が頑張っただけ」

というのも見る。

これも五輪が国威発揚の場だからというのと、左翼のなかに在日勢力が少なからずいるからである。

日本にいる在日は五輪で日本人が活躍するのが面白くない。

その不満がこのような言葉になって時折顔を出す。

 

在日に生まれれば、当たり前だがアイデンティティの問題とぶつかる。

自分はどこの国家に帰属しているのか、と。

母国は韓国だと信じていたナショナルアイデンティティは実際に母国に行くともろくも崩れる。

韓国は在日のことをパンチョッパリとしか認識していない。強烈な差別を受けて日本に舞い戻る。となると彼らには居場所がない。

そこで彼らは韓国人でも日本人でもない、「在日」だ、という架空のアイデンティティを作り出すことによって、自分のリーゾンディティールを確保しようとする。

ほとんどの日本人は己が日本人であることを意識すらしない。

いや、これまではしなかった。

 

今や多くの日本人が海外で過ごすようになっている。

また若いスポーツ選手は国際大会で一年中、海外遠征をしている。

外国人と共に生活している日本人が感じるのは、世界市民的なフラットな感覚と同時に、一方では真逆の、強烈なエスニック(民族)の香りである。

自分は日本人であるというアイデンティティは否が応でも喚起される。

 

オリンピックは個のための催しではない。

五輪だけじゃなく他の国際大会でも出場する選手は国家を背負っている。もし本当に純粋な個人が争う場なら団体競技はクラブチームが出ればいいし、個人競技は国内枠を廃位して世界順位で出ればいい。

そんなもん、面白いはずない。

「政治とスポーツは別」は行き過ぎた政治利用の歯止めのため掲げている。選手が抱く母国への帰属意識を排除するためのものではない。

 

今の若いアスリートはそれを肌で感じている。

国があるから五輪に出られるのだ。

最近の選手が胸に手を当て「君が代」を堂々と歌うのは当然だ。母国を軽んじる者が五輪に出る資格はないし、そんな人間は外国人からも蔑視されるだろう。

自国のことを馬鹿にする人間を他国の人が称賛するはずもない。

 

そういう当たり前の事をまったくわかっていないのが、年寄り左翼連中である。