Meltな気分で

コギトが書く、時事中心の雑多なブログです。暇つぶしにどうぞ。

朝日が小川榮太郎氏にスラップをしかけているのは民主主義の否定

スポンサーリンク

朝日新聞が小川榮太郎氏の本、

徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書) 

に対して、強く抗議し、「謝罪」と「賠償」を求め、著者に圧力をかけている件。

 

ついに朝日新聞もここまで追い詰めらたか、というのが印象だ。

朝日新聞は、自分たちが書いた「モリカケ」記事が真実で、国民の多くから支持されている、と本気で考えているなら、小川氏の本を無視すればいいだけだ。

それが出来ずに、小川氏に圧力をかけているということは、国民の多くが小川氏の主張に賛同してしまうかもしれないという焦りから来ている。

朝日は自分でも理解しているのだ。今、国民は朝日新聞を信じている層と信じていない層に分かれ、次第に後者の割合が増えていることに。

 

国家権力を批判するのが言論機関なら、その言論機関を国民が批判することは当然の権利である。

特にメインストリームメディアであるテレビ新聞は、国家権力と匹敵するほどの巨大な権力を持っている。

権力は放っておけば暴走する。それは国家も新聞も同じだ。

国家権力の批判は許されても、新聞批判は許さないとは、傲慢かつ自分勝手なダブルスタンダードだ。

 

例えば、政府が言論機関から、見当違いで出鱈目な批判をされた場合、政府はその言論機関に対して、「それは誤りだ」と抗議ぐらいはするだろう。

しかし、国家権力が、「謝罪」や「賠償」など求めることはない。それは言論弾圧につながるからだ。批判する自由を奪うことになる。民主国家では絶対にやってはいけいない。

 

まったく同じことがテレビ新聞のような巨大権力にも言える。新聞の報道の在り方を批判して、仮にその批判が間違っていても、新聞社が、そのことで、個人に「謝罪」や「賠償」を求めることは、言論弾圧である。

恫喝や圧力をかけ黙らせようとしているのだから、民主主義の否定である。

言論機関はふつうの企業とは違う。名誉を汚されたら裁判するのか?

新聞社が自由な言論の意味をわかっていないとは驚きだ。

 

さらに、今回の件は、相手が小川榮太郎氏だから、やったのだろう。同じことを主張している、著名なジャーナリスト、例えば櫻井よし子さんだったら、恫喝したか?

相手が弱いと思えば(小川榮太郎氏が弱いとは思わないけれど)潰せると思っているところが、朝日の卑劣なところだ。

 

新聞は真実の報道をし、国民の支持を得られていれば、何を言われても(仮にデマのような批判でも)泰然としていられる。一個人の批判など歯牙にもかけない。

それができないのが今の朝日新聞である。