Meltな気分で

コギトが書く、時事中心の雑多なブログです。暇つぶしにどうぞ。

小池百合子の「しがらみのない政治」は本当に正しいことなのか?

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ブルー @blue_kbx
【中国的やり方】
櫻井よしこ「小池は日本人のメンタリティーではないなと感じる事が多々ある。考え方、手法が中国的やり方。安倍さんを見てると優しさがあるが、小池には優しさがない。目的達成の為に小池は簡単に人を切り捨て、縁を切り捨て、極めて非日本人的な中国の共産党みたいなやり方だなと」

 

上の櫻井よし子氏の指摘は100%正しい。

だが、それが逆に小池百合子の強みになっているとも言える。

『簡単に人を切り捨て、縁を切り捨て、極めて非日本人的な中国の共産党みたいなやり方』

 

逆にそれが出来ないのが安倍さんだ。

今回、安倍さんが「モリカケ」でやられたのも、そこを突かれたから。安倍さんは人を切り捨てない。人脈を大切にする。それを「しがらみ」というのなら、しがらみだ。

安倍さんは「モリカケ」については間違いなく冤罪だ。だが、無実を立証することは出来ない。それは悪魔の証明になる。しかしながら、この言いがかり的な「モリカケ」問題を解決する方法は実は、ひとつだけある。

それは、加計学園の獣医学部新設を白紙に戻せばいい。

簡単なことだ。

でも安倍さんにそんなことはできない。道理に反して、自分が助かりたいためだけに友人との縁を切るなんてことはしない。ふつうの日本人なのである。

 

私達日本人は、誰だって様々な人脈の中で生きている。生かされている。それをある場合は、コネと言ったり、しがらみと言ったりする。

素晴らしい人脈は宝であるが、ひどい人間関係は人生をも破壊もする。

人脈、コネ、しがらみ・・・どう言い換えてもいいが、同じことだ。それが喜びも与えると同時に一番の悩みである。救いになったり足枷になったりする。

 

小池百合子は「しがらみのない政治」がスローガンだ。

政治家だって人間だから、我々と同じように「しがらみ」にとらわれて生きている。

小池百合子は、そういう日本的な生き方を否定することで、喝采を浴びてきた。

小池百合子が喝采を浴びるのは、日本人が、しがらみや人脈を壊さないよう努力する毎日にどこか辟易しているからだ。それをスパッと切ってくれる潔さに、「よくやった」と拍手を送りたい気持ちが沸くのだ。

小泉純一郎も同じだった。

 

しかし、私はリーダーとして小池百合子や小泉純一郎をまったく信用しない。

こういう仮定の話を出せばわかりやすい。

もし、自分が戦場にいて、末端の兵士だったら、自分の上官は小池や小泉がいいか安倍さんがいいか、と考えれば答えは明白だ。

自分の命を預けるのに、小池のような上官は絶対に嫌だ。私は安倍さんに間違いなくついていく。

 

小池百合子は今、民進党議員の生殺与奪の権を握っている。

この光景を見るのは、さすがに不快だ。たとえ民進党議員がどれだけ、みっともない姿を晒していても。

これは断言してもいいが、小池百合子は政治家の中に「友人」と呼べる存在はいないだろう。つながっているのは損得関係でしかない。

彼女は独裁者の素養が十分にあり、現に独裁者になっている。

安倍首相を独裁者呼ばわりする人間がいるが、人の縁を切れない人間がどうして独裁者になれるのか。自分が窮地に陥っても、加計孝太郎氏を切れない人間が。

 

一国のリーダーに独裁者的要素は実は必要だ。

日本的な同調圧力に屈していては、改革などできない。

時には「しがらみ」を切り、独裁的にならなければならない。しかし、それはあくまでも「国民のため」にそうならなければならない。国民ファーストの視点から独裁者になるべきなのだ。

小池百合子はそうではない。彼女は確かに「しがらみ」を切るだろう。だがすべては自分の権力欲のためだ。

小池百合子を絶対に一国のリーダーにしてはいけないのだ。